いつもの事

       23[#「23」は縦中横]

 綿貫ルリが私の家を訪ねて來て案内を乞うたりしないのは、いつもの事であるが、この日は「先生今日は」も言わないで、いきなり、しめきつて話していた書齋のドアを默つてスッと開いて入つて來た。まるで今まで隣りの室にいた人のような具合だつた。私も國友も言葉を停めて見迎えたが、この前見覺えのある絣の防空服を着て、ポキンポキンと私と國友へ頭を下げただけで、何も言わず坐つた。顏色にはほとんど血の氣というものが無い。眞蒼である。この前の時から見ると頬がげつそり痩せたようだ。非常に沈んでいるように見えるのは、自分で自分をおさえつけているためらしい。底の方で強く昂奮している事は眼の色を見ればわかる。こちらの胸先に斬りこんで來るような眼だ。全體の美しさが又變つた。二十二や三の女にこんな種類の美しさが生れ得るものだろうか。ほとんど凄艶というに近い。私は一瞬あじさいの花を想い出した。咲いたばかりのあじさいが雨に濡れている。………誇張ではなかつた。その證據に國友大助も、彼にしては珍らしく強い興味を起した眼色をして、新しい客の爲に少し身を退つた横の方からマジマジとルリを見ていた。「どうしたんだい?」 私が言つても、ルリは答えない。怒つたように私をジッと見ている。言う事が無いのではなく、何をどんな風に言つてよいのかわからないらしい。膝の上の白い蟲のような指先が細かくブルブルと震えた。「判らないんです。いえ、どうしてよいか判らないんですの」だしぬけに、しかしはじめは低い聲で口を切つた。「私の事じやありませんですの。いいえ、結局私の事かもわからないけど、でも私だけの事じやない。どうすればいいんでしよう? 先生教えて下さい。いやだわ、いやなんです私は。こんなわけのわからない事でゴタゴタしているのは、私はイヤ!」 それから噴き出すような勢いでルリは喋りはじめた。何を言つているかわからない。少くとも初めの十分ばかり彼女の言葉は支離滅裂でまつたく掴えどころが無かつた。或事を言いはじめて、その一言の中で忽ち別の事を言い出すかと思うと、次に最初の事とも二番目の事とも違う事に飛んでいる。それをこちらが呑みこむ暇もない中に、他の事が入りまじつて來る。しかもそれがたいがい普通の言い方と逆になつていて、いきなり間投詞が飛んで來て、その後に叙述の文句が來てそれが又四方八方へ飛び散り、ぶつかり合う。言葉と言葉が光線の亂反射のように飛び交うのだ。

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