暮しの事

「そうなんですよ。然しまあ、暮しの事はいまどき誰にしろ苦しいんだから、それは言わないとしてもだ、仕事の内容を考えると、當分もう駄目だな。確かに日本は亡びた。もうどうしようもない。少くともこれから先五十年や百年はどうにも處置ない。そういう氣がする。日本人を相手にして日本人の事を書いていると、どうしてもそういう氣がしますよ」「確かにそりやあ、そう言われればそう言う氣もしますね。新聞や雜誌で道義地に落ちたりなどと言つているが、道義なんて私共には何の事だかわからないが、近頃の日本人、ダラシが無くなつた事は事實です。まあ乞食だな。とにかく、一切合切は腹がくちくなつた後の話と言つた光景で、法も道も何ちゆう事はないようですからね、ハハ!」 相手の氣持をはかりかねて、始めの間私は落着けなかつた。然し彼の調子には別に含むような所はなく、今の時代の有樣についての感想なども、彼は彼なりに相當深い見方をしていて、それをしみじみと本心から語つている。語り口は、例の通り輕いものだが、その底に一時のものではない嘆息がこもつていた。話している間に私も何時の間にか、この男の訪問の目的をせんさくする氣持を忘れて、久しぶりの舊知との會話を樂しむ氣持になつていた。 その中に國友は、今までの話の續きのように氣輕な調子でヒョイと「いつかお目にかかつた時に、あなた、D興業會社の社長秘書の貴島という男に會うんだとおつしやつていたが、お會いになりましたか?」「………會いました」「ごく最近?」「いや、しばらく前だ。君にお目にかかつたあの晩遲くだつたかな」「………それからお會いにならない?」「會わない。どうして?」「いや。…………貴島君、今どこにいるか御存じありませんか?」「住んでいるのは荻窪だが………」

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