今度は船の上です

 又、居所が變りました。 今度は船の上です。船と言つても、汚いハシケの、胴の間です。或る船着場の、左右前後は停泊しているハシケや漁船で埋まつています。くさつたような潮の匂いと、雨の音です。 ルリさんが此のへんにまでやつて來てウロウロしてしている事を僕が知つたのは昨日です。あるいは僕の思いちがいで、ルリさんでは無かつたかも知れませんけれど、僕の眼にはあの人のように見えました。 前の室にいた頃、黒田の子分の一人が僕の所に使いに來た時に「若い女が二三日前から、このへんをウロウロしている。兄きをつけているんじやないかと思う。氣を附けてください」と言うのです。「東京の連中のなに[#「なに」に傍点]かね?」「いや、テキさんたちが、あんな女を使つたりはしないでしよう。綺麗な女ですよ」「そりや君たちの氣のせいだろう」「そうも思いましたがね、なんせ、ここのマーケットに、たいがい一日に一度はやつて來て、何かを買つたり食つたりする風もなし、この家に眼をつけているようなんです。なんしろ、めつぽう綺麗な女だから、すぐに眼に附くんだ」 ニヤニヤしながら、僕と戀愛關係でもある女ではないかと疑つているようです。「ほら、一二度此處へ來た、何とか言う雜誌の人ねえ、あの人をソッと附けて來て此處を知つたんじやないかねえ」 佐々のことなんです。そんなバカな事は無いと僕は打ち消しました。しかし、あり得ない事では無いのです。佐々は僕がこうして方々に身をかくすようようになつてからも、二度ばかりやつて來ています。非常にハシッコイ男ですけれど、それだけにソソッカシく、とんでも無い所で拔けた事をしかねない男です。「とにかく用心して下さい。親分もそう言つていた。昨日も金の野郎が櫻木町から連れて行かれたし、東京の店で菊次が四五日前に斬られてます。東京のは相手がわかつているし、なんの事はありませんけどね。用心するに越した事は無いんだ。一兩日中に又別の所に兄きに行つてもらうようにしてあります」 その男は、じや又來ますと言つて歸りかけ、硝子窓を細目に開けて下の露路をうかがつていましたが

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