實に立派な軍人

 しかし父は、實に立派な軍人でした。軍人と言うよりも武人とでも言つた方が當つています。「軍人は、國が、他から侵されて危くなつた時に、國を守り防ぐ任務を持つたものだ。そのために國民の間から選まれた者である。だから軍人は、たえず武力を磨いていなければならん。しかしその武力を發揮してはならぬ。軍人が武力を發揮したら、この國は亡びる。軍人や軍事力は、拔かない刀だ。いつたん拔いたら人も斬るが、同時に自分も死ななければならんものだ。だから、最後まで拔いてはならん。拔く時は死ぬ時だ」 いつもそう言つていました。以前、軍備縮少に賛成して――と言うよりも、積極的にスイ進する運動をして、軍人仲間から迫害されたこともあつたらしいのです。若い頃、大使館附の武官として、六七年も外國に行つて來たことなども、父の考えに強い影響を與えたらしいのです。 と言つても父は、變に文化カブレのしたハイカラ軍人ではありませんでした。考えも、することも剛直で、ガンコ一點張りの人です。僕を育てるのに、たしか四五歳頃から、竹刀を握らして、いきなり劍道を教えはじめたことでもわかるでしよう。書きおくれましたが、僕の母は僕を生んで間もなく死にました。たいへん美しい女だつたそうですが、僕はまるでおぼえていません。微かに微かに、なにか、どこか頭の片隅にチラッと影の差すように、そして、そこから、なんかしら、青いような花が匂つている――そういう氣がする。しかし想い出せないのです。 父は、死んだ母をホントに愛していたようです。たしか父の方で好きになつて貰つた妻だつたようです。そんな事を父は語つたことはありませんでした。いや、僕の母そのものに就て、一言半句、僕に語つたことが無かつたのです。默々として僕を育てただけです。前に言つた通り、表面はただ手荒にボキボキと育てたばかりで、可愛がつているような事を言つたりしたりはしません。しかし、シンから可愛がつてくれました。僕にそれがわかるのです。そして、その事から、死んだ母を、父がホントに愛していたと言うことが、二重に僕にわかるのでした。 父は遂に最後まで、次ぎの妻を迎えませんでした。僕を繼母に附かせるのが可哀そうだと言うような理由ではなく、僕の母を失つて以來、妻を持つなどと言うことが、まるで考えられなかつたようです。そのへんも、實にアッケ無いほど古武士的で、つまり古風きわまるのです。 戰爭については、終始一貫して非戰論者でした。戰爭は、避けられるだけ避けなければならないと言うのです。そのために大佐の時に軍を退かなければならなくなつたと言います。だのに、父ほど軍人らしい軍人はいませんでした。軍をしりぞいた後になつても、物の考え方から日常生活の末々に至るまで、まるで戰陣にのぞんだ軍人そのままの剛直で簡素きわまる生活でした。父は僕を軍人にしたかつたようです。なぜなら、彼の考えでは、軍人こそ人間の中で最もすぐれたものだつたからです。ですから、僕が少年時代に、「軍人になるのはイヤだ」と言い出した時に父は、世にも悲しそうな顏をしました。しかし自分の考えを僕に強いようとはしませんでした。「人間は、自分が一番やりたいと思うことを、しなければならん」と言つて、僕が將來文科系統の勉強をしたいと望んだことにも賛成してくれたのです。

— posted by id at 01:40 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1742 sec.

http://thebuilderschurch.org/