父の事

        20[#「20」は縦中横]

 次ぎに父の事を書きます。 これは、非常に簡單です。 父は去年死にました。八月の終戰の日から、ちようど一カ月目の、九月十五日に、セップクしたのです。 そのころ、まだ僕は現地に居りました。父と僕とは親一人子一人の二人きりの肉親で、僕が出征した後父は小さな女中を使つて暮していたのですが、東京空襲がはげしくなると、その栃木の山奧から來た女中は「こわい」と言つて泣くので、栃木の方へ歸してしまい、父は青山で一人きりで自炊生活をしていたそうです。終戰から一カ月もたつてから自決したのは、その一カ月の間に、身邊を整理するためだつたらしいのです。あるいは、萬一僕が生き殘つていれば、僕に一目會えるかもしれないと言うような、かすかな望みを持つていたのかもしれないとも思います。しかし、この想像は、僕のダラクした想像に過ぎません。父は僕を出征させる時に、「決して生きて歸るな」と言い、そして、腹の底から、生きて再び會えることは無いことを信じ切つていたようでしたから。 遺書はありませんでした。遺産もほとんどありません。住んでいる家は借家でした。「貴島さんの小父さんの姿をちかごろ見かけない」と言つて、隣の人が、なんの氣も無く、家に入つて行くと、どこもかしこもガランと整理してあつて、臺所の板敷に――疊などをよごしては迷惑をかけると思つたらしいのです。そのへんも、たしかに父です。――短刀で腹と頸を突いて、コロリと横になつていたそうです。 父は近所の人たちからも「貴島の小父さん、貴島の小父さん」と親しまれ、ごく柔和な老人でした。これが元、陸軍少將であつたと言つても誰も信じる人は無かつただろうと思います。

— posted by id at 01:40 pm  

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